考え方

嫌われる勇気からの学び

久しぶりに読み返してみた。

変わることの第一歩は、知ることにあります。

まさにこれ。変われないときは何がよくて何が悪いか、かわからない。そもそも変わる必要があるのかさへわからない。そのためには、何が足りていて、何が足りていないのか。また、足りる必要があるのか、今持っているものだけで十分じゃないかと、立ち止まって考える時間も必要になってくる。ただ、知るためには、健康であり、冷静であり、受け取るタイミングでないと受け取れなかったりするよね。

一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられているような関係は、恋ではあっても愛とは呼べない。人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。

妻と一緒にいると、息苦しさや、緊張を感じず、とても自由に振る舞えている自分に気づく。その空気感があったからこそ、一緒にいたいなという思いが生まれて、いまも一緒になんだろうな。母にも一緒になるひとは空気みたいな人だといいよねと言われたことを思い出した。忘れていても、心の奥底では覚えているものかもしれない。一緒にいて心地がいい人と一緒に生きられたら、それだけで幸せだね。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他社の課題とを分離していく必要があるのです。- 略 –  誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えて下さい。

自分はできるだけ、他人の課題に口を挟まないようにしている。理由は、その人のゲームのコントローラーを奪って、自分がクリアしてしまったら、自分は楽しいかも知れないけど、その人は楽しくないから。逆に自分が握っているコントローラーを取られるのは嫌だ。やっぱり、自分のゲームは自分でクリアしたいから。やっぱり自分の人生のエンディングは、自分の力でみたいからね。でも、旅の仲間と一緒に冒険するのも楽しいよね。

人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう”勇気”がくじかれていること」が問題なので、と考えるのがアドラー心理学です。

他人に長期間、コントローラーを握られてしまうと主体性が薄れ「どうせ無理」という感情が湧いてくる。だから、自分のコントローラーを取り戻さないと、ずっとつまらない状態になってしまう。自分のコントローラーを取り返すには、その人と距離を置くのが手っ取り早い。ただ、コントローラーの取り返し方を覚えないと、距離をおいた先で、また誰かにコントローラーを取られてしまうので、他人にコントローラーを取られない方法を考えよう。優しすぎて、自分から譲っちゃうパターンもあるから注意。

人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していくからです。- 略 - ほめることとは「能力がある人が、能力のない人に下す評価」なのですから。

これには驚いた。子どもは褒めて伸ばすものだと思っていた。だが、ほめるという行為に、あなたは私より下ですよという評価をくだしていたとは…。ではどうすればいいのか?アドラー心理学では、「ほめる」ではなく「感謝」を伝えること。よくできたね、ではなく、ありがとう。確かに、ほめられてうれしいのと、感謝されてうれしいのとでは全然違う。感謝されたほうが、自分が認められた、役に立ったという、自信や誇りにつながると思った。

子どもを褒めたときに「恥ずかしいから褒めないで」という言葉の裏には、照れ隠しではなく、見下さないでという意味も込められていたのかもしれない。これから子どもたちには感謝を伝えよう。

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。

やっぱり誰かの役に立てたときが一番嬉しい。そのときにもらえる言葉はいつも「ありがとう」だ。自分と関わりを持ってくる人たちには感謝を伝えよう。いつも一緒にいてくれてありがとう。一緒に働いてくれてありがとう。みんなこれからもよろしくね。